東京ディズニーリゾート(TDR)をビジネスの視点から分析する。

TDRは何故楽しいのか?その仕掛けをTDR好きの筆者が様々な視点からお話しします。

第1回:ブログの立上げにあたって

本ブログは、TDR(※)好きなアラカン世代の私が、経営の参考となる様々なTDRでの仕掛けを紹介するものです。TDRが毎年あれほどの来園者を迎え続けているには、それなりの秘訣があります。その秘訣は、TDRでしかできないことではなく、サービス業だけにとどまらず、多くの企業の参考になるものです。私は、TDRへ一人で行くことに抵抗はないほど好きで、既に100回以上パークを訪問しています。そして、実際に見聞きする中で様々なTDRの経営の秘密を見てきました。その解き明かしをしながら、TDRを経営的な側面から分析してみたいと思っています。

東京ディズニーランド東京ディズニーシーを併せて本ブログではTDRと表記します。

 

そもそも、私は、子供のころから遊園地が好きで、親に、地元の遊園地へ連れて行ってもらうと一人で走り回ってあれやこれやの乗り物に乗るのを楽しみにしていました。その頃(小学校時代)、金曜日八時から大人気だったプロレスの裏番組で、アメリカのディズニーランドのテレビ放送をしていました。それを紹介していたのがウオルト・ディズニー本人でした。その中で紹介される様々な乗り物へ憧れたのがそもそものディズニーランドとの出会いであり、いつかは行って見たいと思っていたものでした。

 

その願いを叶えたのが、大学4年生のいわゆる卒業旅行です。友達と二人でアメリカへ初の海外旅行へいくこととなり、その最初の訪問先にずっと行きたかったアナハイムのディズニーランドを選びました。飛行機の中で、既に何回か行ったことのある夫婦と出会い、その方から、チキルームやリンカーン大統領の動きが本物みたいだとの話を聞き、わくわくしていました。たまたま、飛行機がトラブルを起こし、ハワイに一旦着陸したため(今思えば、大変なことですが、当時は何とも思いませんでしたね)、ロサンゼルスへの宿がキャンセルとなったので、知合ったご夫婦と一緒に、ディズニーランドのすぐ横にあった「CANDY CANE」というモーテルに宿泊することになり、アメリカ大陸上陸の初の夜を迎えました。

 

現在、「CANDY CANE」という宿は、「CANDY CANE INN」と名は変わりましたが、今も同じ場所にあります。

※先日、60周年のディズニーランドに行った際に立ち寄りました。当時とは当然様変わりでしたが、38年ぶりの再会で大変懐かしかったです。

 

さて、翌日、アルバートハモンドの「カルフォルニアの青い空」の歌詞の通りの気持ち良い青空の下、本場のディズニーランドへ足を踏み入れました。まずは、いつもテレビで見ていたウエスタン鉄道でパークを1周しました。その後、チキルームやカントリーベアシアターを楽しみました。ジェットコースター系の好きな私ですが、マンハッタンボブスレーは残念ながら中止でした。また、スペースマウンティンは1年前にオープンしていたのですが、当時、今のようにガイドブックも日本にはありませんでしたので、その時点では、その存在さえ知りませんでした。ですから、気付かないままでした。ただ、帰国してからそういう情報を知り、非常に残念に思いましたが、このリベンジは5年後、再び渡米した時に果たしました。

 

ディズニーランドへの初訪問で、一番印象に残ったのが、カリブの海賊でした。

 

当時、日本の遊園地しか知りませんでしたので、カリブの海賊と言っても、ボートで周りを1周するだけの乗り物と思っていました。しかし、ボートに乗り込むと、暗闇に入り、ジェットコースターのように坂を下り、海賊たちが喧嘩やお祭りを繰り広げる大きな海原へ出た時にはその壮大な仕掛けに驚きました。しかし、それ以上に印象に残った出来事がありました。それは、友達二人で列に並び順番が来た時です。係の男性(キャスト)が「How Many?」と聞いてきたのです。最初は、何のことか分かりませんでしたが、多分「何人で来たのか」ということだろうと思い、「Two 」と答えました。何故聞くのだろうと思っていたのですが、ボートの座席に案内されて気づきました。これは、人数を確認し、一緒に来た人を一緒に乗せようということだと・・・。大変驚き、これがディズニーのサービスなのかと思いました。

 

当時、日本の遊園地には、サービスという概念は全くなかったと言って差し支えないでしょう。あったのは、設備、つまり、乗り物というハードだけの面白さ、楽しさでした。ですから、遊園地の係員の方の仕事は、並んだ順番に乗り物券を回収し、次々に乗り物へ乗せれば良かった訳です。カップルであろうが、家族であろうがお構いなし、運が悪ければ別々の座席や次の順番になるということは日常茶飯事でした。

 

それから、歳月が経ち、日本にもディズニーランドがオープンしました。私は、地方に住んでいましたが、妻も同じようにディズニーが好きでしたので、毎年のように訪問していました。そして、数年が経ち、子供も生まれましたが、たまたま、仕事の関係で東京勤務となりました。東京勤務は田舎育ちの家族にとっては気が重かったのですが、好きなディズニーランドがあることを家族にも口実にし、何とか上京しました。そこで、案の定、ディズニーランドの楽しさに浸りはじめ、毎週のように家族でのディズニー通いが始まりました。そして、何度か通ううち、そのサービスの素晴らしさに気づき、昔のカリブの海賊でのやり取りを思い出したのでした。

 

前置きが長くなり過ぎました。次回から、本題に入ります。